動物の家族達

最初の愛猫、小太郎 3年7ヶ月の生涯

2003年5月に生まれ、同年8月には我が家にやって来て、2007年1月に急死してしまった小太郎です。

3年半程度しか一緒に暮らすことができなかった、私にとっては初めての猫でした。

急死後、激しいペットロスに襲われました。こんなに小さな体なのにその存在感の大きさは想像をはるかに超えていました。

また別の猫を飼えば…と言った心無い言葉を浴びせられたり、たかがペット…というような周囲の無理解にさらされながら仕事を続け、日常を過ごすことの辛さを実感しました。

しかし、この仔との出会いと別れがあったからこそ、今の自分があるのだと信じています。

小太郎は、私にとって体は小さいけど存在感はとても大きなガイドなのです。

我が家の福猫、最長老のお福ちゃん。

2005年か2006年頃の生まれ。

2007年に愛猫の小太郎が亡くなって数ヶ月後に4匹の子猫を引き連れて我が家の庭に引っ越してきました。

子猫達は全員保護して、うち2匹を一緒に里子に出し、残りの2匹である太助と甘太はずっとうちの子です。

お福ちゃんは、まだまだお外生活満喫しつつも、365日我が家の2階の屋根付きポーチに3食付きのお家完備の一番自由で気ままな猫生活を送っていましたが、2021年12月にとうとう完全に我が家に入ってもらい、余生をゆったりと過ごしてもらうことになりました。

享年 15歳7ヶ月

2007年5月頃の生まれ。お福が連れてきたの4匹のうちの1匹。

太助は、4匹のうち一番最初に私に慣れてくれた仔。何となく、一心太助のイメージが湧いてきたので、太助。

太助からは、本当にいろいろと学ぶことが多かった仔でした。お福が家に入ってくれてちょうど1年経った2022年12月16日に旅立ちました。

旅立ちに際しては、Tタッチ、アニマルコミュニケーション、ボディートークのそれぞれの先生方に大変お世話になりました。太助は、最期の時まで私にいろいろ学ばせてくれた仔でした。

 

享年 16歳2ヶ月

甘太は、太助や里子に出した他の2匹と共にお福が連れてきた子猫のうち、一番小さくて甘えん坊だった仔でした。母猫の側に置いておこうと思って手元に残した仔。甘えん坊だから甘太。

でも実は、性格は太助より強くて頑固。

これまで病気らしい病気もせず、元気に過ごしていたのが2023年4月に急に食欲が無くなり、太助と同じような症状を見せたので、去勢手術以来15年ぶりに獣医さんへ連れて行ったところ、消化器系リンパ腫と診断されました。

しばらくは、ステロイドで持ち直しましたが、7月半ばから薬も食事も全く受け付け無くなり、7月末に旅立ちました。

薬を飲んで欲しい、無理してでもご飯を食べて欲しいというのは、人間側のエゴなのかもしれないことを、身をもって教えてくれた仔でした。

享年 推定14歳

茶々丸。推定2009年頃の生まれの男の子。

2010年の暮れあたりから、我が家の近所に現れる。他の野良猫達をみんな追っ払うお福の目にかなったのか、スカウトされたのか、我が家の庭でご飯を食べることを許された唯一の野良猫。

ちゃめっ気があり、よく笑わせてくれた茶々丸でしたが、甘太が逝ってわずか2週間余りの8月14日、甘太助の後を追うように急逝してしまいました。

慢性便秘で摘便治療した直後に容体急変しての急死のため、今までにないほどのショックと、後悔と哀しみに苛まれました。

新盆で戻ってきた太助と甘太が連れて行ってしまったような出来事でした。

毎日、普通にご飯を食べ、排泄して、よく寝て、遊んでくれることがどんなに有り難くて幸せなことかを改めて教えてくれた仔でした。

 

小春。2021年11月下旬に保護。

耳の遠くなったお福ちゃんのご飯を盗み食いしていた仔です。

保護してみて女の子だということがわかり、それならなんとか屋内の3ボーイズとも上手くやっていけるかな…と思って家族になりました。

3匹のおっさん猫達が次々と居なくなった今、この仔が明るさを保ってくれています。